崎浜復興会議の中に設置された「崎浜震災記念誌チーム」では、崎浜の被災の写真や懐かしい写真などを集めています。
ここでは、チームに寄せられた貴重な写真をアップしていく予定です。
(記念誌チームは、主に仮設住宅に住む美女集団が中心となって取り組んでいます。)
なお、記念誌チームでは崎浜の写真を集めています。写真やデータをお持ちでしたら、ぜひ、ご提供ください。詳しくは、下記までお問い合わせください。
特定非営利活動法人 いわて地域づくり支援センター
〒025-0091 岩手県花巻市西大通り1-20-10-102
電話・ファックス 0198-29-5515
メール iwacen_2005@iwa-c.net
2012年8月30日木曜日
2012年8月29日水曜日
崎浜番屋づくり5 2012.8.26
第2回 復興会議 2011.7.29
第2回委員会は、委員である岩手大学農学部広田教授も参加し、国や県の復興事業の状況の説明を踏まえ、住宅や道路など、崎浜地区の復興に関する各議題について話し合いを行いました。
住宅については、集団移転と差し込み移転、公営住宅などいくつかの方法があることを確認したうえで、地区として自ら候補地の選定等に取り組んでいく必要性が確認されました。
道路については、現在8本ある道路を3本の主要道路にまとめてはどうかや、避難道については浸水域の利用方法が決まってから考える必要があることなどの意見が出されました。
浸水跡地の利用については、桜公園やグラウンドゴルフやゲートボールなどの運動場などみんなが集える場所にしたいという意見が多く出ました。
地域共同体の維持については、「崎浜をもう一度再建していこう」という思いの盛り上がりが必要だという意見が出ました。
次回は、被災者や女性委員を増やし、ワークショップ形式も取り入れて、一人一人が感じている課題や復興への取り組みについて丁寧に議論していくことになりました。
●次第
1.開会
2.委員長挨拶
3.報告
①越来喜地区復興委員会へ提出した要望書
②第2回意向調査(住宅に関する)結果
4.議事
①住宅の件
②道路の件
③浸水跡地の利用について
④地域共同体の維持について
⑤その他
5.閉会
住宅については、集団移転と差し込み移転、公営住宅などいくつかの方法があることを確認したうえで、地区として自ら候補地の選定等に取り組んでいく必要性が確認されました。
道路については、現在8本ある道路を3本の主要道路にまとめてはどうかや、避難道については浸水域の利用方法が決まってから考える必要があることなどの意見が出されました。
浸水跡地の利用については、桜公園やグラウンドゴルフやゲートボールなどの運動場などみんなが集える場所にしたいという意見が多く出ました。
地域共同体の維持については、「崎浜をもう一度再建していこう」という思いの盛り上がりが必要だという意見が出ました。
次回は、被災者や女性委員を増やし、ワークショップ形式も取り入れて、一人一人が感じている課題や復興への取り組みについて丁寧に議論していくことになりました。
●次第
1.開会
2.委員長挨拶
3.報告
①越来喜地区復興委員会へ提出した要望書
②第2回意向調査(住宅に関する)結果
4.議事
①住宅の件
②道路の件
③浸水跡地の利用について
④地域共同体の維持について
⑤その他
5.閉会
2012年8月28日火曜日
崎浜の被災状況
2011年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130㎞の海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生しました。
崎浜地区でも震度6弱の巨大な地震が起こり、大きな被害がでました。その余震が収まらない中、15時15分頃、津波が大平側から防潮堤を乗り越え、地区に流れ込んできました。
自宅を失った世帯 46世帯
死者・行方不明者 10名
地震発生と同時に停電となり、水道も止まりました。そのため、公民館を避難所として自宅を失った世帯を中心におよそ3か月に及ぶ避難生活を送りました。
その間、女性らが協力して、全世帯に毎日炊き出しを行いました。
電気の開通 4月4日
水道の開通 5月中(場所によって異なる)
避難所の閉鎖 6月14日
現在、被災者は、崎浜小学校の校庭に設置された応急仮設住宅と、地区内の賃貸アパート等(みなし仮設)で生活を送っています。
崎浜小学校仮設住宅入居者 23世帯、約80名
賃貸アパート等(みなし仮設)入居者 20世帯、約40名
崎浜地区でも震度6弱の巨大な地震が起こり、大きな被害がでました。その余震が収まらない中、15時15分頃、津波が大平側から防潮堤を乗り越え、地区に流れ込んできました。
自宅を失った世帯 46世帯
死者・行方不明者 10名
地震発生と同時に停電となり、水道も止まりました。そのため、公民館を避難所として自宅を失った世帯を中心におよそ3か月に及ぶ避難生活を送りました。
その間、女性らが協力して、全世帯に毎日炊き出しを行いました。
電気の開通 4月4日
水道の開通 5月中(場所によって異なる)
避難所の閉鎖 6月14日
現在、被災者は、崎浜小学校の校庭に設置された応急仮設住宅と、地区内の賃貸アパート等(みなし仮設)で生活を送っています。
崎浜小学校仮設住宅入居者 23世帯、約80名
賃貸アパート等(みなし仮設)入居者 20世帯、約40名
このホームページの運営について
このホームページは、崎浜地区復興会議のホームページチームが管理運営を行っています。
(ホームページチーム)
崎浜在住の20代の若者を中心に10名程度
+NPO法人いわて地域づくり支援センター
記事の更新や情報提供は随時大歓迎です!お問い合わせフォームからいつでもご連絡ください。
ホームページの制作にあたっては、「平成24年度岩手県新しい公共モデル事業」を活用しています。
崎浜番屋づくり4 2012.8.25
ペール缶のフタを外す |
ペール缶とは、車やバイクのエンジンオイルなどが入っている缶で、右の写真のような大きさです。
この缶は地元の方からいただきました。
フタのついているペール缶はフタを外して使用します。
缶の底にオイルがついていたりして、悪戦苦闘でした。
据え付け用の金具の作成 |
どうすれば、確実に柱を設置できるのかを計算しながらの作業です。
フタを外した後は、缶をそれぞれの穴に設置していきますが、穴掘り作業に時間がかかったためこの日はここで作業終了となりました。
連日、天気に恵まれたことによる暑さと力仕事による疲労とで徐々に疲れてきていますが、いろいろな作業ができる楽しみからか、全員が笑顔で良い雰囲気だなと感じました。
(太田)
2012年8月27日月曜日
第1回 復興会議 2011.6.29
震災が発生してから3か月が経った6月12日、崎浜公益会の役員会において、自分たちが自ら動くことで、一刻も早く地域の復興を実現することを目指し、「崎浜地区復興会議」を立ち上げることが決定されました。その後、直ちに公益会長が委員の選任を行い、委嘱状を送付、全員から承諾の意思を確認し、6月29日に第1回「崎浜地区復興会議」が開催、会が立ち上がりました。
会議の委員は、公益会の役員に加えて、元甘竹市長、岩手大学農学部の広田教授ら15名です。
第1回会議では、6月22日に配布されていた東日本大震災にかかわる地域の課題に関する住民の意識調査を行った結果の報告と、それに対するさらなる協議が行われました。
(住民の意向調査結果としてまとめられた復興への課題8項目)
1.住居について
2.防災について
3.生活基盤(道路・電気・ガス・水道)について
4.生産基盤(漁港・養殖施設・漁船)について
5.流出した中心街の復興について
6.崎浜小学校の跡地活用について
7.情報の伝達手段について
8.地域コミュニティ(共同体)の維持について
さまざまな問題が山積していますが、これから、地域自らが協力して復興へ向かって歩みだす力強い一歩が踏み出されました。
会議の委員は、公益会の役員に加えて、元甘竹市長、岩手大学農学部の広田教授ら15名です。
第1回会議では、6月22日に配布されていた東日本大震災にかかわる地域の課題に関する住民の意識調査を行った結果の報告と、それに対するさらなる協議が行われました。
(住民の意向調査結果としてまとめられた復興への課題8項目)
1.住居について
2.防災について
3.生活基盤(道路・電気・ガス・水道)について
4.生産基盤(漁港・養殖施設・漁船)について
5.流出した中心街の復興について
6.崎浜小学校の跡地活用について
7.情報の伝達手段について
8.地域コミュニティ(共同体)の維持について
さまざまな問題が山積していますが、これから、地域自らが協力して復興へ向かって歩みだす力強い一歩が踏み出されました。
2012年8月24日金曜日
崎浜番屋づくり3 2012.8.24
作業の流れを確認 |
デザイン段階から協力いただいている神奈川大学の先生や学生のみなさんや東京のデザイン会社の皆さんも参加しての作業です。
まずは、どの場所に穴を掘るのかを確認します。
そのあとは、マンパワーで所定の深さになるまで穴掘りをします。
穴掘り作業 |
難航していた穴掘りも重機のおかげで行うことができました。
次回はこの日堀った穴に土台となるペール缶を据え付け、缶の中にコンクリートを流し込む作業です。
連日の猛暑ですが、頑張っていきます。